私のおばあちゃんは豆腐屋さん
先日 母が
「 整理しよったら、これが出てきたんよ あげる 」
と、手渡された おばあちゃんから 私宛の年賀状
わたしの母方のおばあちゃんは お豆腐屋さんでした
朝早くから 一人で作って リヤカーで 店におろしに行く
時々 明治のチョコレートを買ってくれたり
ビンに入った ヨーグルトも思い出
今の私が 孫ッチを思うように
おばあちゃんも 私のことを思ってくれたんじゃね
今になったら おばあちゃんの気持ちがわかります
おばあちゃんの家は 車も通らない 細い道の山の上
家は ぼろ屋で 入ると 大豆を蒸した匂い
土間で 大きな水槽
家の前には 山の斜面に ダリアがたくさん咲いていました
色の派手な ボンボンダリア
その上に 青い空が広がっていたのを 思い出す
山の上で 豆腐を作り
一斗缶の中に水を張り 豆腐を入れて
リヤカーで運んでいて
ある日、坂の下で忘れ物を取りに上がって
下りてみたら 缶の中の豆腐は ぐちゃぐちゃにかき回されていて
売り物にならなかった という話を 母から聞いた
でも、おばあちゃんは 怒りもせずに
「 子供のやったことだから 面白かったんじゃろうのぅ 」
と 笑ってたって・・・
そのおばあちゃんも
「 来年から年金が出るケー もうちょっと楽になる たのしみじゃ 」
と 言ったのに
64歳で 自宅で ほんの数日寝込んで 亡くなった
私は おばあちゃんに 似ているけど
おばあちゃんのようには 優しくない
おばあちゃんの作った豆腐の味も 覚えていない
母は 豆腐の味も ダリアの花も 覚えてないという
他のことは 生き字引と言われるくらい 覚えてるのに・・・(笑)
でも、
おばあちゃん子じゃなかったけど
おばあちゃんは 私の中で 今も生きてる
今日のキルトは
19世紀のアンティークの布地を使って作った
おばあちゃんのダリア でした
「 整理しよったら、これが出てきたんよ あげる 」
と、手渡された おばあちゃんから 私宛の年賀状
わたしの母方のおばあちゃんは お豆腐屋さんでした
朝早くから 一人で作って リヤカーで 店におろしに行く
時々 明治のチョコレートを買ってくれたり
ビンに入った ヨーグルトも思い出
今の私が 孫ッチを思うように
おばあちゃんも 私のことを思ってくれたんじゃね
今になったら おばあちゃんの気持ちがわかります
おばあちゃんの家は 車も通らない 細い道の山の上
家は ぼろ屋で 入ると 大豆を蒸した匂い
土間で 大きな水槽
家の前には 山の斜面に ダリアがたくさん咲いていました
色の派手な ボンボンダリア
その上に 青い空が広がっていたのを 思い出す
山の上で 豆腐を作り
一斗缶の中に水を張り 豆腐を入れて
リヤカーで運んでいて
ある日、坂の下で忘れ物を取りに上がって
下りてみたら 缶の中の豆腐は ぐちゃぐちゃにかき回されていて
売り物にならなかった という話を 母から聞いた
でも、おばあちゃんは 怒りもせずに
「 子供のやったことだから 面白かったんじゃろうのぅ 」
と 笑ってたって・・・
そのおばあちゃんも
「 来年から年金が出るケー もうちょっと楽になる たのしみじゃ 」
と 言ったのに
64歳で 自宅で ほんの数日寝込んで 亡くなった
私は おばあちゃんに 似ているけど
おばあちゃんのようには 優しくない
おばあちゃんの作った豆腐の味も 覚えていない
母は 豆腐の味も ダリアの花も 覚えてないという
他のことは 生き字引と言われるくらい 覚えてるのに・・・(笑)
でも、
おばあちゃん子じゃなかったけど
おばあちゃんは 私の中で 今も生きてる
今日のキルトは
19世紀のアンティークの布地を使って作った
おばあちゃんのダリア でした
この記事へのコメント
素敵なキルト♪
おばあさまとの思い出が詰まったキルトなんですね~
わたしは父方の祖母と暮らしていましたが
母方の祖母は遠い鹿児島にいたので2度しか
会った事がありません
昔はそうに会いに行けない距離でしたよね
とても働き者の祖母でした
あー似てないな、わたし(笑)
あざやかなダリアのキルトが、本当に美しい。
おばあちゃまの人生そのままの、象徴の美ですね。good job!
ご先祖様も、こうして魂を子孫に残していってくれるのですね。
ちゃんと、受け止めて来られたはりねずみ様も、本当にお幸せですね。
愛された記憶は、愛する事の大切さを教えてくれます。
先日の京王線の事件の犯人にも、思い出して欲しかったわ。
愛されてこなかったら、大人になんて、なれなかったんだよって。
難しいのは、実は、どう愛するかってことなんだよ。
不遇も挫折も、孤独さえも、
もっと自分自身を愛してあげれば、大切にすれば、
少しずつ、物事が変わってくるわ。簡単じゃあないけど。
今より幸せになるための、試練なんだと、気づいて欲しかった。
涙を拭って、顔を上げよう。まずは、そこから。
昔のおばあちゃんは働き者ですよね。
私も、働き者のところは似てないな。顔が似てるの。(笑)
しずくさんもおばあちゃんと暮らしたんですね?
私も、父方のおばあちゃんと暮らしました。
口うるさい・・・と思いながら、反抗して一緒に暮らしました。
でも、今思うと、悪かったなーあんなに反抗して・・・と思うこといっぱい。後の祭りですね!?
しずくさんはそんなことなく良い子でおばあちゃんと暮らしてたんじゃないかな~?
でも、影響あるよね。細かいこと、いろんなこと。どっちのおばあちゃんもいっぱい思い出してあげようね~
ハロウィンに紛れて、事件を起こす犯人。
ちょっと、卑劣ですね。
彼にしても、子供を虐待する親にしても、他人に感謝することなく、自分も大切にしていないですよね。
そういう小さい愛情を感じたり、感謝したりする気持ちがない限り、
他人も自分も大事にはできないと思うんですよね・・・
虐待受けた子供の心の中には小さな石の塊みたいなものがいっぱい詰まっていて、大きくなった時その石が爆発するか、溶けていいるのか・・・それが心配ですね。
この彼もやさしいひとだった・・・とコメントにありますよね・・・
でも、心の中には石がいっぱい詰まってたんだろうね。
私なんて、おばあちゃんと暮らしていても、反抗したりしていたからろくなやつじゃありません。(笑)
豆腐屋のおばあちゃんとはいっぱい話してないけど、かわいがってくれたことは確かです~
戦争で亡くなられたんですか?
遠い昔の話・・・と思いがちですが、そんなことはありませんね。
写真の中のおじいちゃんおばあちゃんしか知らなくても、自分の歴史ですもね。
おばあさまのお話も、このキルトも覚えていますよ
私が生まれた時には、祖母は亡くなってて、私の名前は、祖母のマチからもらって、真知子なんですよ
祖母のように優しい人になれるようにって。
なので、心に残っています
キルトも素敵です
優しい人になるように・・・たしかに!ととろさんは優しい。
優しい人の色、パンの香・・・ブログの記事、お花が好き・・
ほらどこからも、優しい香りがする。
わたしの豆腐屋のおばあちゃんの亡くなった年齢に近づいてきて、
まだまだやり残したことあったろうな~と思ってる私です。
素敵なおばあちゃんですね
お話し心にジーンときました
優しい人だったね
と最後に言われたいなぁ?
ぷーじさんのおばあちゃんもきっと優しい方だったに違いないと思いますよ~
でも、生きてると優しくなれないときもあるよね。
きっと、みんな持ってる。私なんてしょっちゅう、優しくないな、私・・・って思ってしまう。
そうだね~最後思い出してもらえる時、「優しい人だったね」って言ってほしいね~そういってもらえるよう、今日もがんばろー!(笑)