介護の定年
我が家のミモザは
今年少し遅い開花です
先日 妹が
「おかーちゃんに悪いことしたなーと思うんよ」という
あの具合が悪いときも
この家に一人で寝ていてかわいそうじゃったという
妹は最後の10日間をこの家に泊まった
私は最後の1日だけ・・・
それまでは
いつまで続くかわからない介護に
共倒れになってはやばいので
もし、夜中に・・・ということがあっても
覚悟だ。と思っていたけど、
いざ、いなくなった時
それは子供として 非情なのではと
思うこと・・・
そんな小さな選択
些細な会話 が
分かれ道で 後悔として
ふつふつとわいてくる
もう、帰ってこない時間を
あれこれと 思うより
その時の自分が選んだ 選択を 気持ちを
許してあげよう
認めてあげよう
その時にした選択の方が 後悔ない方に選んでも
やっぱり小さな後悔は ふつふつとわいてくる
母にこの子はひどい娘ですと
紹介された 私は
やっぱり最後まで
冷たいひどい娘だったかも
見抜いていたのか ? (笑)
母だって、
最後は 私が友達からもらったものを持っていっても
話は全て 自分の体調のこと
三良坂のキルト展の時も
話をしようにも 興味はなく
ちょっとはしゃべりたいけれど
聞こえん・・・と言われるたびに
私もそれに 耐えていた
すべて、自分の周りの人は良くしてくれること
自分の体調のことをしゃべった
今は
母の知らない私の友達が
お供えしてくれたものをみながら
こんなによくしてもらってるよ
と口で言いたい相手がいなくなったことを
寂しく思う
母の身体が元気だったら
どんなに喜んだことだろう
今は、もう痛い体もないので
きっと、喜んでいると 私は思う
もう「 聞こえん 」 といわれないので
仏壇に向かって
勝手にしゃべってる わたし・・・(笑)
今からは 介護の定年だと思って
自分の時間を 暮らしていこう
この記事へのコメント
でもその時その時精いっぱいしてあげた事
きっと喜んでいらっしゃることでしょう。
自分が痛い時苦しい時自分の事しか頭がまわらない
歳とって来るとそうなって来るのでは・・・
多分私もそうなりつつあると確信しています。
これから自分の人生をたっぷり楽しんで下さい。
やれる事は、精一杯 頑張ったでしょう?
私は、ブログを読むたび、感心していました。
今は、まだ、心も身体も、疲れているのだと思います。
答えの出ない問題は、静観すべきです。
親を送る事の大変さや、ダメージは、
経験してみないと、なかなか分からないですよね。
順番が来て、順当に送れただけで、大成功だと、私は思います。
ご本人が、在宅介護を望んで、子供達が精一杯、応えてくれたのだから、
ご高齢のお母さまも、死ぬ覚悟は、なさっていたはずです。
娘たちが後悔するのは、望んでいないと思います。
ただ、幸せだったと、言えなかっただけです。お幸せだったのに。。
その内、夢に出て来て、元気な元の姿に会えると良いですね。
そうですね~、歳を重ねていくと、一番興味のあることは自分の体の不調
母は、お友達には言わない人でしたから、言えるのは私達娘にうったえることしかなかったのかもしれませんね。
わかるけど、ずっと、聞かされる方は、どーにもしてあげれないことに頭を悩ませていました(笑)挙句の果てには私に、あそこの病院に連れて行ったからとか言われると、カチンと・・・(笑)
一つ一つが将来の自分の選択を迫られてる気がします(笑)
もこさんはきっと、元気な良いお母さんでしょうね。大丈夫!かわいいおばあちゃんに決まってる!
思い残すことはないくらい、長年病院に付き添ってきて、いなくなった今は
行ったり来たりのあっちこっち生活もなくなりました。
それだけで、気分的にもゆとりの生活(笑)
ほとんど、一緒に住んでいたような妹は寂しいんだろうね~と思います
時々、おねーちゃんにはわからんよ。という言葉にドキッとします(笑)
どう答えていいか・・・苦笑いです。
妹から見ても、薄情な姉でございます・・・とほほ
自分なりに一生懸命できることをと思ってやってきても、これで良し!
という折り合いが付かないことも感じさせてもらいました。
この小さな後悔がふつふつとあぶくのように出ては消えていくんでしょうね
人との別れってそういうふうにできてるのかも。
後悔\(^o^)/です。それだけその時の自分も一生懸命むきあってきたということですよね~
良い方に解釈してます(笑)
今は動ける身体を持っていても、いづれはゆうこと聞かなくなるからだ
周りの人に助けてもらいながら、ありがとう~って生き切るしかないね
お互い頑張ろうね~